筑波大の現役&OBOGが、摂理の学生生活、普段は何をしているのか?素の自分を書いています。

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摂理の筑波大学生-キリスト教福音宣教会

人前でお祈りすることができなかった話


わたしは御言葉を聞き始めたときから、お祈りがすきでした。
祈りは対話だと聞き、おしゃべりすればいいんだ、とおもって、
毎日、自分の部屋で神様とぺちゃくちゃお話していました。

そしていつしか教会に通うようになり、教会でも祈るようになりました。
そして教会に通うようになると、一人で祈るだけではなく、他の人ともいっしょにお祈りするようになりました。

わたしはその文化に慣れることができず、とてもいやでした。
神様にだけ聞いてほしいお祈りを、人にも聞かれるのがいやだと感じました。

でも、他の人は、みんな当然のようにお祈りしているから、
郷に入っては郷に従え精神で、気合で乗り切っていました。

でもやっぱり苦痛を感じ、たまにふさぎこんだりもしました。
いやだと伝えたらよかったのかもしれませんが、
いざお祈りする場面で、あなたといっしょにお祈りするのがいやなんだよね、というのも
ひどいなあとおもい、しかしいい表現が思い浮かばず、ずっとわたしの思いはわたしのうしろにかくれたままでした。

 

特に準備なく、いきなり祈るようになった場面では、何を祈ったらいいかもわかりませんでした。
それで、先輩方に、何を祈ったらいいんですか?と聞くと、自分が考えた通り、思い浮かぶ通りでいいよと言われました。
そのときは、「なにも思い浮かばないから聞いているのに!」と不満におもいました。

でも実際は先輩方のおっしゃる通りで、
わたしが自分でおもったことをお祈りするのがいちばんよかったのです。
誰かがこうだといったことを、そのまま祈ったら、どこか機械的になってしまうから。

2人、3人でお祈りするならまだしも、
10人、15人、教会のみんなの前でひとりでお祈りすることもありました。

「このとき、みんなでお祈りする時間があるから、
最後にhanaがみんなを代表してまとめて祈ってね」とお願いされたりすると、
なにを言っているんだ、と憤りによって自分が滅び去りそうでした。

 

また、礼拝のとき、御言葉がはじまる前に、教会を代表してひとりがお祈りする時間があります。
あるときから、わたしは毎月一回、代表で祈るようになりました。
人前で祈るのが苦手なわたしが、なぜこの役目をするようになったのか本当に理解できません。
神様が導かれたとしか考えられないです。

これまでの問題ですが、結局の原因は、人目をとっても気にしていたことでした。
わたしがこのお祈りを失敗して、教会のみんなが御言葉に集中できなかったらどうしよう。
わたしが変なことを祈って、この人は御言葉をちゃんとわかっていない人だなと思われたらどうしよう。

いつもそういう失敗を恐れながら、代表のお祈りを捧げていました。

ところで、アーメンという言葉を知っていますか。
アーメンとは、「同意します」「その通りだとおもいます」という意味で、
だれかのお祈り中、その祈りを聞く人は、内容に同意するときにアーメン!と言います。

それで、わたしの祈りに、みんながあまりアーメンと言ってくれなかった日には、
わたしのお祈り変だったかな・・御言葉の内容に合ってなかったかな・・
今週の御言葉的にはこう祈った方がよかったかも・・自分中心の考えで祈ったような気がする・・と、
お祈りが終わったあと、御言葉を聞く時間も悪い考えがぐるぐる回り、全く御言葉を聞けないときもたくさんありました。

自分のネガティブな考えを捨てて、ただ神様に向かって祈ることがほんとうにたいへんでした。
神様に向けて真実にお祈りができるよう、祈る前に毎回お祈りしていました。
人によく見せるため、人にほめられるため、人に認められるため、そういう考えを一切持ちたくありませんでした。

 

でも、そのようにお祈りしていたから、神様が助けてくださり、
わたしは徐々に、人の目を恐れながら祈る次元から、
神様に本当に聞いていただこう、と集中して祈る次元に変わるようになりました。

わたしの祈りによって礼拝の流れが変わってしまうから、本当に神様が聞いてくださる祈りをしたい。
神様がいらしてくださる礼拝の時間にしたい。という考えで行うようになりました。

みんながアーメンといってもいわなくても動揺しなくなりました。
正直ちょっとは、あら、わたしまちがえた?と気にしますが、
神様がどう考えるかが一番だいじだと感じられるようになりました。

人前で、人ではなく、神様に集中してお祈りする感覚を実感したとき、
わ〜やっとここまでたどりついた、とおもいました。
やっと神様のことを見ることができるようになりました。

 

以前、こんな御言葉を聞きました。
山を登るときも、しばらくの間は景色が似ている。 景色を遠くから見るか、近くから見るかの差があるだけだ。
しかし続けて歩いて行くと、もっとよい景色が出てくるし、
またさらに歩くと絶景が出てくるように、 そのようにたゆまず行えば続けてもっとよいものが出てくる。

最初のころと、今とで、みんなの前で祈る景色が異なるように感じました。
最初は崖っぷちに立たされ、いつ突き落とされるかわからない不安から逃れるように祈っていましたが、
今、わたしは神様にお会いできる、絶景の場所でお祈りをしているようです。

御言葉前のお祈りを2年間捧げてきましたが、これがすごく変化を感じたことでした。
もっと神様しか見えない人になりたいとおもいました。

 


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