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摂理の筑波大学生-キリスト教福音宣教会

どうしてサイト名が『ぺたぺた』なのかっていう話


今日は、いつも通っている教会ではなく、他の教会で礼拝を捧げました。

はじめまして、はじめまして、と色々な人とあいさつを交わしていく中で、
自分、ブログ書いてるんすよ。と話す機会もありました。
摂理人のみなさん、優しいから関心を持ってくださるのです。

「なんていうサイト名なんですか?」
「あ、えーと・・ぺたぺた日記っていう名前なんですけど・・ハハッ」

みたいな会話を何回か繰り返して、
『ぺたぺた』、ちょっと気がぬけることばなので、自分で言ってはずかしくなりました。
なぜこういう名前をつけたのかとちょっと後悔。

『摂理ぺたぺた写真日記』長いので、みんな『ぺたぺた日記』と呼んでいます。
どこからこの『ぺたぺた』が出てきたのだろうと思い出してみると、
最初は、単純に写真がすきだったので、
ていうか本気で写真の道に進もうと考えていたので、
写真盛りだくさんのフォトダイアリーにしようとおもっていました。

ま、写真日記だとふつうなので、なにかをつけ加えようと思いました。
写真をぺたぺた貼るから、「ぺたぺた写真日記」だなあとおもったのです。

正直、それだけです。浅い。
対して、世界最大級に深みのある聖書に、こんな比喩があります。

ルカ伝8:5-6
種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、
ある種は道ばたに落ち、踏みつけられ、そして空の鳥に食べられてしまった。
ほかの種は岩の上に落ち、はえはしたが水気がないので枯れてしまった。

種が踏みつけられ、食べられ、枯れてしまう。
ちゃんとした畑にまけばいいのに、これはいったいどういう意味でしょうか。

ルカ伝8:11-13
この譬はこういう意味である。種は神の言である。
道ばたに落ちたのは、聞いたのち、信じることも救われることもないように、
悪魔によってその心から御言が奪い取られる人たちのことである。
岩の上に落ちたのは、御言を聞いた時には喜んで受けいれるが、
根が無いので、しばらくは信じていても、試錬の時が来ると、信仰を捨てる人たちのことである。

種は、御言葉ということです。
悪魔、サタンによって、御言葉がふみつけられ、食べられる。
御言葉をはじめは喜んで受け入れるが、そこからさらに理解や悟りを深めていくことができない。

そりゃ、岩の上に落ちたら、根っこは伸びない。
根を伸ばせる土の部分が浅いから。
しっかり根を張ることができる、深い肥沃な土が必要です。

そうです。ぺたぺた日記に何が足りないか。

根を張る深みが必要ということです。

ここに深みがあってこそ、御言葉の種が成長していくのでは。
『ぺたぺた』とか言ってもはずかしくない。

ということで、なんかてきとうに深み持たせたらよさそう!とおもいました。

辞書で、『ぺたぺた』の意味を調べてみました。

ぺた-ぺた
1 平らな物で軽くたたく音を表す語。「平手で顔をぺたぺた(と)たたく」
2 素足や草履などで平らな所を歩く音を表す語。「廊下をぺたぺた(と)歩きまわる」
3 続けざまに物をはるさま。「ぺたぺたとシールをはる」
4 続けて印を押すさま。「判をぺたぺた(と)押す」
5 塗りつけるさま。「絵の具をぺたぺた(と)塗る」

出典元は、毎度おなじみデジタル大辞泉

 

 

うわあ、何も思いつかない。

どうしよう、ここまで書いておいて、ピンチ。
そんなときは聖霊に尋ねてみるんです。こまっちゃったなあ、聖霊さま。

と、聞き続けてみたのですが、

主の御言葉としるしをぺたぺたはって広め、
そうしながら、わたしの考えに御言葉をぺたぺた塗りたくり、
いつも主にぺたぺたついていくのだ!

ということが思い浮かびました。
いいこれ。さっきより深み増してる。聖霊ってすごい。

ということで、深みが増した『ぺたぺた日記』を今後ともよろしくおねがいします。

 


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