筑波大の現役&OBOGが、摂理の学生生活、普段は何をしているのか?素の自分を書いています。

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摂理の筑波大学生-キリスト教福音宣教会

わたしのそばで面倒を見てくれた人の話


みんな、ただでは御言葉を聞くことが難しいです。
御言葉自体知らないし、それが自分にとって必要だとも知らないから。
だから、知っている人の口コミで知るようになる人が多いです。
わたしにも、御言葉を紹介してくれた先輩がいます。

 

その先輩は、初めて会ってすぐ、牧師さんの話を小出しにしてきたから、
宗教勧誘をするためにわたしに話しかけてきたのだなと思いました。
だから、御言葉を聞くようになっても、
ずっと偏った視点で、ものごとを見聞きしていました。

正直、宗教勧誘という表現はちょっとちがいます。
わたしがそのときそう思っていたから、勧誘と表現しています。
それについては、こちらの記事とかそちらの記事を読むとわかりやすいでしょう。

 

御言葉を紹介したその先輩は、いつもそばで面倒を見てくれました。

初めて御言葉を聞いたとき、神様のことはすきになれそうでしたが、
信仰を持つことに抵抗がありました。
よく聞くマインドコントロールが今まさに成されるのか・・などと心配していました。

でもその先輩を見るとき、まあ大丈夫か、と思えました。
なぜならその人は、あまりにもまともだったからです。
宗教にどっぷりおぼれるイメージ像とは異なり、
地に足のついた発言ばかりしている人でした。

むしろ、わたしの方が非現実的なことばかり考え、
世界一周するから早く休学したくて、などと言っていました。
結局、一周もしなかったし、
マインドコントロールも一切ありませんでした。

また、この御言葉に関わる人はみんな、神様のことがだいすきだけど、
わたしはそこまで神様をすきではないときもありました。
だから、話が合うか不安だなあとたまに思っていました。

その先輩ももちろん、神様のことがだいすきでした。
しかし、パンやカレーもすきでした。
サッカーやギターやモノマネもすきなようでした。
たまにでっかいおにぎりも作ってくれました。

一緒にいてたのしかったです。
モノマネが絶妙だったし、わたしもパンがすきだったから。

そしてその人は、わたしに何かあるたび気にかけてくれました。
しかし、わたしはそのとき全力でひねくれていたので、
こういう風に優しくするのは、宗教勧誘をするためなのだ、と
ずっとおもっていました。

それからわたしは、すっかり御言葉を聞き終えて、
よろこんで礼拝にも行くようになりました。

それでもう、その先輩のやることはおわったのだから、
話さなくなるのだろうなあと思っていました。
しかし、その人は続けて一緒にごはんにも行ってくれて、
必ず誕生日を覚えて祝ってくれて、ギターも教えてくれました。
教会のみんなに対して、そんな姿で接していました。

そのように過ごすうち、この人は自分の利益や損得ではなくて、
神様の愛で生きている人なのか、とわかるようになりました。

 

摂理で御言葉を聞く人たち、みんなそうです。愛で生きている人たちでした。
利益ではなく愛で行なうことが可能なのだと、ちゃんと知りました。

愛があまりわからなかったわたしには、こんなに優しくしてくれることが考えられないことでした。
ずっと疑っていたけれど、結局ぜんぶ、みんなの本当の心でした。

御言葉を教えてくれるここの人たちは、
変な人たちなのではないか、とずっといぶかしんでいました。
でも、他の人と特にちがうのは、信仰を持っているというだけです。
ちょっと変わった人も多いけど、摂理のみんなはふつうの人たちです。

御言葉で精神を作ったみんなの姿が、本来あるべき人の姿なのだと思います。
でも、わたしはそういう人に慣れていなかったから、
本当に優しくしてくれる人たちが信じられませんでした。

神様が愛をたくさんくださっても、
わたしは、くださいくださいと言いながら、自ら床にこぼしてしまうような人でした。
神様が少しずつ、わたしの偏見を解きながら、愛を教えてくださったように感じます。
愛を素直に受け取れるようになれたことがひたすら感謝です。

 

人を通しても働きかける神様です。
その先輩を通して、神様がたくさん働きかけたのだなあと思い出したのでした。

 


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