筑波大の現役&OBOGが、摂理の学生生活、普段は何をしているのか?素の自分を書いています。

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摂理の筑波大学生-キリスト教福音宣教会

摂理に来て変化したことがすごいということ


よく、みんな言います。摂理に来てわたしは変わったと。

わたしも摂理に来て、変わった人の一人です。

御言葉を聞くと、大抵の人は変わります。考え方が変わるから。

 

はじめは、変わったことについて、あんまり感動していませんでした。

御言葉を聞いて、礼拝に出始めたあたりで、

みんなから変わった、変わったと言われていましたが、

なにをあたりまえのことを、とおもっていました。

 

ある人からは、表情がやわらかくなったと言われたけれど、

そりゃあ、仲良くなったからやわらかくなったのでは。とおもいました。

 

ある人からは、御言葉や神様を受け入れるようになったと言われ、

でも、そりゃあ、そうでしょう。とおもいました。

 

このように変化するのは自然な流れで、

春になったら雪が溶けるようなことだとおもいました。

いつもどおり雪が溶けた。次はいつもどおり花が咲く。

というような、想像がつくようなことだとおもっていました。

 

さらに、わたしは考えが変わり、行動が変わったけれど、

変わってたどり着いた先は、摂理のみんながあたりまえにやっていることです。

むしろ、みんなのレベルよりも低いこともありました。

 

だから、みんなやっていることなのに、大げさだなあとおもっていました。

表面では喜んでみたけれど、感動はあまりありませんでした。

 

しかし、摂理で過ごすうち、

御言葉を聞いても、変わらない人がいることを知るようになりました。

 

あれっ、不思議だなとおもいました。

御言葉を受け入れる人と受け入れない人がいることを知るようになりました。

 

わたしはお祈りについてはじめて教えてもらったとき、

神様とおしゃべりすることが楽しかったから、毎日いろいろと話していたけれど、

心を開いてお祈りするのがむずかしい人もいるんだと知りました。

 

神様がすきではない、ある行動を教えてもらったとき、

わたしは神様がいやならやめようとおもって、すぐにやめたけれど、

簡単にはやめられない人もいるんだと知りました。

 

御言葉を聞く約束をしていたのに、

なんにも聞かずに、やっぱりいいや、という人もいるんだと知りました。

 

なんにも見てない彼らは一体、なにを見て判断できたんだろう。とおもいました。

 

逆に、あの人はすごいなとおもうこともありました。

わたしは歌がきらいだったから、

いつまでもいつまでも聞いているだけだったけれど、

すぐに賛美がすきになっちゃう人もいるんだと知りました。

 

わたしは話を聞くのが苦手だから、

御言葉も、30分も経つと途中で聞いていなかったけれど、

2、3時間経っても集中している人もいるんだと知りました。

 

わたしは忘れっぽいから、

御言葉を聞いて、部屋を出た瞬間に内容の8割は忘れていたけれど、

2、3日経ってもそのときの内容も感想も言える人もいるんだと知りました。

 

人はそれぞれ、水準も位置も違うのだ。とおもいました。

 

変わった先が、どうしようもなく水準の低い位置だったとしても、

マイナスのどんぞこから、ちょっとマイナスレベルになんとかはい上がれたのだとしても、

変わったことは変わったのです。

神様や先生がそこまで引き上げてくださったのです。

 

それにつかまって、一歩でものぼって変化できたことが奇跡だとおもいました。

 

先生はよく、漸進的に。といいます。順番どおり、一歩ずつ進んでいけばいいと。

わたしは、他の人と比べて低い次元だとしても、神様の願う方向に向かっていくことができたから、

感謝して喜ぶべきことだとおもいました。

 

みんなのあたりまえが、自分のあたりまえというわけではありません。

逆に、自分のあたりまえが、みんなのあたりまえということもありません。

 

変わることができない可能性もあった中で、

変わることができている状況を喜ぶべきだとおもいました。

 

神様も御言葉も捨てて、自分一人で生きる道を選んだ可能性もありました

 

今、摂理の中で変化しながら生きているひとりひとりが奇跡です。

 


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