筑波大の現役&OBOGが、摂理の学生生活、普段は何をしているのか?素の自分を書いています。

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摂理の筑波大学生-キリスト教福音宣教会

バランス


最近、自分の中で大きく意識が変化したことがあります。

それは、「バランス」をとても意識するようになったということ。

具体的に言うと、「体の声に素直に耳を傾けること」ができるようになりました。

以前の自分は、なんでも完璧にやらないと気が済みませんでした。

それは、中学校の時、テストでケアレスミスをしたときに「またミスをして!」と言われたことが原因となっているのではないかと思います。

自分としては全神経を注いで見直しをしているつもりなのですが、なかなか100点を取ることができず、テストの時にはいつも「ミスをしてはいけない」という強迫観念に迫られてテストをしていました。

その結果、確かに以前よりは注意深くなり、ミスも少なくなったのですが、代わりに精神的にものすごく疲れるようになってしまいました。

同じように、なんでも完璧を求められ、それにこたえようと必死にやってきたために、自分の状況は後回しで、相手に要求に合わせるようになってしまいました。

相手の要求に合わせるというのは、良い気質のように感じられますが、自分の体の大切さ、自分の心の健康の大切さをはっきりとわかっていないと、自分の体が発するサインに鈍感になってしまい、休みたくても休めなくなってしまいます。

特に小さいころから「親の期待に応える」ことを無意識にしてきた自分は、親の期待すること、してほしいことはわかるけれども、自分のしたいことをはっきりわかることができず、自分の心と体の声に聞かないふりをして無理に相手の要求にこたえようとするようになってしまいました。

それは僕自身の神様との関係でも同じで、人との関係でそのような体質が身についてしまったから、神様との間でも「御言葉通りにしないと裁かれるのではないか」「きちんとやらないといけない」といった、強迫観念がいつもくっついてまわるようになってしまっていました。

だから、教会の行事なども参加しなければいけないと、体が疲れているのに無理して参加したり、夜明けのお祈り会も前日全然寝ていないのに無理やり行って、そのまま休まずに学校に行って授業を受ける、といったことをしていました。

その代償として、僕は過労で体調を崩してしまいました。それは今も尾を引いていて、もう以前のように元気いっぱい活動することに躊躇し、無意識にセーブするようになってしまいました。

けれども、この経験を通して、大きなことを学びました。

それは、自分の心身の健康は何よりも大事なのだということ、健康は何にも代えられない貴重な財産なのだということです。

体調を崩してから、以前よりも自分の心身の管理に気を遣うようになりました。

ガス代がかかるからと封印していたお風呂も定期的に入るようにし、外食で済ませていた食事もなるべく自分で作るようになりました。そして、教会の行事とかでも自分がしんどいと思ったら素直に言って、休ませてもらうようにしました。

特に、教会の行事に参加しないことによって、「何か言われてしまうのではないか?」と不安に思っていた部分もあったのですが、実際に休みたいと言うと、そんなことは全然なく、むしろ「体調大丈夫?無理しないでね!」と言われます。

その時、「ああ、自分の心配事は実際は大したことないんだな」と思うようになり、心が軽くなりました。

そして、何より体調管理に気を遣うことによって、自然と「今日一日で最も大事なことは何か?」に意識が向くようになり、その目的を達成するために、ほかのことは多少後回しにしてもやるようになりました。おかげで、前より一日の活動量は少なくなりましたが、以前に比べて生活の質が上がったように感じます。

相手に合わせる前に、自分の心と体を合わせること―

これを意識することが何よりも大事なのだと悟りました。自分という存在を大事にして、愛することができるようになってこそ、相手を大事にし、愛することができるのだなと感じました。

マタイによる福音書22章39節

「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」

あなたは、他人に気を遣う前に、自分の心身が発するサインに気を遣えていますか?


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