筑波大の現役&OBOGが、摂理の学生生活、普段は何をしているのか?素の自分を書いています。

menu

摂理の筑波大学生-キリスト教福音宣教会

人と馬とは○○で通じ合う?


さて、自分が馬術をやっていてみについたこと。

今日はそれを書いていこうかなと思っています。

乗馬で必要なこと

タイトルにある通り、人と馬とは何で通じるんでしょう?ムチ?にんじん?干し草?

 

自分が思うに、まあ確かにそれも通じ合うために必要なコミュニケーションの手段のひとつでもあります。

でも、もっと大事なことがあると思います。

それは「馬を大事にすること」言い換えると馬の「気持ち=心情」をわかろうとする心ではないかと。

 

人と馬とのやり取り

馬は皆さんどんな動物なんだろう?と思っている人も多いと思いますが、実はあんな大きい体をしてとても繊細で臆病なんです。ちょっとの物音ですぐにびっくりするし、なんでもないような水たまりを怖がって動けなくなることもあるし、かと思えば犬が横切っただけですぐに驚いて暴れることもあります。

 

乗っていて、人間目線で考えるとなんでもないような障害物に怖がって動けなくなることがままあるので乗っている側から見れば

「なんでそんなもので怖がるの~?」とあきれたくなるようなことって意外と多いんですよね(-_-;)

 

でも、そこでイライラしていてもなんも解決しないし、イラついて馬に暴力をふるったら虐待になってしまうし、ひどい場合は暴れて騎手がケガをしてしまうことだってあります。

だから、人間がすべきことは何か?と言うと、馬の目線で考えて「なんで動かなくなったんだろう?」って考えることなんです。

そして何かを怖がって動けなくなっているんだったら、「ああ、それが怖いんだね~」って受け入れてそれを避けるように通るとか、「ほらほら、よく見てみて。全然こわくないでしょ?だから大丈夫だよ~」とその障害物を見せてあげて馬をその障害物にならしてあげます。

時代劇で将軍が馬に乗って砂浜を颯爽と走る!・・・なんてことは、人にとても慣れていて、おとなしいからこそできる芸当で、あんなことができる馬っていうのは、馬全体を見てみたら実はそんなにいないんです。だからああいう馬ってかなり貴重なんですよ(笑)

 

もちろん、「怖い」から動けないだけじゃなくて、人をなめて動かなくなっている場合もあるし、どこか馬体が故障していて痛くて動けない、っていうのももちろんあります。だから、まじめに乗れば乗るほど乗馬はいろいろ疲れるんです(笑)

でもそういうことを繰り返していくうちに、ふと馬と気持ちが通じる瞬間があります。それがサッカーやバレーとはまた違った楽しさがあって

とても気持ちいい(笑)たぶん、馬に乗ったことのある人は良くわかると思います。

 

摂理では人同士が和睦するにはどうするべきと言っているか。人馬の関係性の構築の過程から学ぶ。

でもこの作業って実は人との間で和睦を成すうえでも同じところが結構あるなと最近感じるようになりました。

例えばなかなか自分が思った通りに動いてくれない人がいたとして。

「もう!なんで動かないんだ!」と怒りをあらわにして相手に当たれば

相手は傷つくと思うし、「なんでわかってくれない!」となって・・・けんかに発展したりします。そうでなくても誤解によって心の距離が果てしなく遠くなってしまって、和睦が壊れてしまいます。

お互いがお互いのことの良い、悪いを言い合ったところで話は平行線で和睦は成せません。

大事なのは、相手を認めて、相手にどれだけ近く、歩み寄れるか。対話を通して相手と疎通し、分かり合えるか。

それを成したとき、真の和睦が生まれます。

 

『〈和睦する上での核心〉は何でしょうか?それは互いに対話して解くことです。』

『生活の中で互いに〈考え〉が違うから、互いにいい時もあるし、悪い時もあります。

私たちの〈考え〉はその都度次元的に異なるでしょう?しかし〈神様の御心〉は同じです。だから私たちは一つです。』

≪遠くても近くても私たちは一つだ。考えはそれぞれだが、御心は一つだ。心の中にあることを対話で解いて和睦して生きなければならない。≫

【摂理主日礼拝説教より抜粋】

 

当たり前ですが、馬の場合は言葉でコミュニケーション取れないので馬のしぐさや様子を見てこちらが原因を推測し、アプローチしていくことが必要になってきます。ですがこれは人同士でも言えるのではないかなと。ただ相手の反応だけ見て判断するのではなくて、なぜそのようなことをしたのか?を考えて、対話でお互いに心の中にあることを話し、わだかまりを解くこと。こうすることで真の和睦を成すことができると、神様はおっしゃいました。

 

今思えば、馬術部での馬との触れ合いの経験は、こうした真の和睦に必要なことを神様が自分に悟らせるためにさせてくださったのだなあ、と感じます。

何事も無駄な経験なんてないなあ、と感じます。

まあ、馬への接し方=人への接し方、ととらえてしまうとそれはそれで問題が生じるのですが、(笑)少なくとも、人と馬との接し方、コミュニケーションをとおして学ぶことは大変多いです。

ですが、こうした「学び」も摂理の御言葉を聞けばこそできるようになりました。

神様に感謝ですね(*^^*)

もっと御言葉を聞いて、神様とも和睦を成していきたいです。

 

 

 

 

 

投稿者プロフィール

NORI
NORI
NORIと言います。
現在乗馬インストラクターという、世の中においても摂理においても結構珍しい仕事をしております。

あと、軽度の発達障害(ASD)持ってます。
そのため毎日生きるのに必死ですが、神様がいろいろ助けてくれるので何とかなってます(笑)

摂理人のリアルな生活や、信仰生活、発達障害とか、馬のこととか、思いついたときに書いていってます。

皆様気軽に立ち寄ってくださいね。

当サイトの著作権について

関連記事

カレンダー

2018年9月
« 4月    
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930