筑波大の現役&OBOGが、摂理の学生生活、普段は何をしているのか?素の自分を書いています。

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摂理の筑波大学生-キリスト教福音宣教会

御言葉を聞くとどうなるのか?


どうもこんばんは、NORIです。

新年明けてだいぶたちましたが、今年もよろしくお願いしますm(__)m

 

さて、このブログでは、摂理のことや、摂理人の日常なんかをいろいろ書いていますが、、、

御言葉を聞くとどうなるのか?

って思っている人が結構いらっしゃるのではないでしょうか。

 

もちろん、どう変わったのかは御言葉を聞いた人それぞれ異なるので、一概には言うことはできないので、私自身がどう変わったのか、について書こうと思います。

①実践力が身についた

自分自身の変化で一番大きいのは、やっぱりこれですね。

要は、「とりあえずやってみよう!」と思えるようになって、失敗をあまり恐れなくなりました。

御言葉を聞く前までは、周りの目とか、「失敗する自分が恥ずかしい、いやだ」っていう自分自身のわけのわからぬプライドが邪魔して、「こうしたらいいのになあ」「こうしよう」とは思うけれども、それを実行に移すことがなかなかできませんでした。

けれども、摂理の御言葉で

「行った人は成功したのだ」

「行った人は生きている人で、行なわない人は死んだ人だ」

と神様が教えてくださったおかげで

自分の中での成功と失敗の認識が変わって、

挑戦して行なった結果うまくいかなくても

行なった行為そのものは決して失敗ではない

自分の存在価値そのものは変わらない

そう思えるようになって、だいぶ新しいことへの挑戦や

乗馬の練習とかで新しいことを試すことへの抵抗感が取れました。

 

②心の安心感、充足感が得られた

御言葉で、神様はいつも

「愛している」

「あなたのことはちゃんと見ている」

と、おっしゃってくださいます。

これは言葉だけではなくて、本当にそうだと、実際に御言葉を聞いてお祈りして、生活しているとよく感じます。

人間って、見た目とか、その場での行いだけで相手の人となりを決めつけてしまったり

たった一回の間違いでその人の人格とかも全否定してしまったり

ちゃんと頑張っていても相手にはそう思ってもらえなかったり、、、しますよね。

 

自分のことをちゃんと見てほしい、分かってほしい

そう思えば思うほど苦しい、つらいし

それを紛らわそうと、いろいろやってみるけれども

なんかこれじゃないなあ、とむなしさを感じてしまったり。

 

御言葉を聞いていなかったら、神様の人間に対する愛のメッセージを聞くことができないから

ずっと満たされずに生活していたことでしょう。

 

けれども、御言葉を聞くと、不思議とそのさみしさがなくなっていくのを感じます。

私は社会人ですが、仕事が忙しくなって御言葉を聞く機会が少なくなると前述したさみしさやむなしさを感じて、苦しくなります。

逆に、御言葉を聞くと、仕事で嫌なことがあったり悩んでいたことがあったとしても

御言葉の中にその答えがあったり、励ましてくれたりして

心がスーッとして、重荷がなくなっていくのを感じます。

 

以上が、自分自身の主な変化です。

もっと書こうと思うときりがないので、とりあえずはこの二つをあげました。

 

私は御言葉を聞く前までは、それまでの人生経験から

人間不信に陥ってずっと孤独感を感じながら生活をしていました。

「生きるのがしんどい」って思いながら生活していました。

 

ですが、御言葉を聞いて、同じく摂理の御言葉を聞いている人たちとかかわり

神様とむきあっていくなかで少しずつ

「生きるのはしんどい。けれども、それ以上に甲斐はある。自分がどうして生きているのか、その目的がわかるから大変でも楽しい」

と思えるようになりました。

 

もし「なんで自分って生きてるんだろう?」

って思っている人、生きづらさを感じている人がいたら

ぜひ摂理の、神様の御言葉を聞いてみてください。

 

ではでは。

投稿者プロフィール

NORI
NORI
NORIと言います。
現在乗馬インストラクターという、世の中においても摂理においても結構珍しい仕事をしております。

あと、軽度の発達障害(ASD)持ってます。
そのため毎日生きるのに必死ですが、神様がいろいろ助けてくれるので何とかなってます(笑)

摂理人のリアルな生活や、信仰生活、発達障害とか、馬のこととか、思いついたときに書いていってます。

皆様気軽に立ち寄ってくださいね。

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